| 最終更新日: 02/16/2016

←←←『僕の音、僕の庭』その1から続く

 扉裏には、第4章に登場する「リアルワールド・スタジオ」コントロール・ルームのカラー写真があります。
 圧倒的な開放感、絶妙な奥行き、レッド×ブルーのバランスボール……。キャプションがなければ、音楽スタジオであると瞬時に気付く人はほぼ皆無のはず。独特の雰囲気とオーラを放つスタジオです。
 コントロール・ルームの椅子に座ると、その目線の先は水面です。羊水の中から生まれたヒトにとって、水のある風景はカタルシスと原点回帰のイコンでもあります。「好きなんですよ、なにしろ居るだけで気持ちいいので」と、満面の笑みでインタビューに答えていらした鑑さんを思い出します。
 確かに、商業主義的な効率を最優先に考えていたらリアルワールド・スタジオは成立しなかったと思いますし、効率を重んじるアーティストには遮音を最優先しないスタジオは使い勝手が悪く映ることと思います。リアルワールド・スタジオとフィットするか否かで、アーティストの信条も透けて見えるのかもしれません。

 「売れる、売れないとは」の節には《イントロから歌を1コーラス、間を飛ばして間奏とエンディングを聞く》手法が出てきますが、この手法は"速読術"と酷似していて驚きました。どの業界でも、商業主義的な効率を最優先する手法があるようです。
 速読術は、本の内容をかいつまんで知るには効率的ではあるのですが、日本語のもつ奥深さや味わいを感じられるかといえば疑問が残ります。かなり高額の受講料を払って身につけた技術でしたが、私も鑑さん同様に《面倒くさくて楽しくなさそうな方法》に感じることが多くなり、最近はほとんど利用しません。
 好きな文章の一字一句を味わいつつマーキングしながら読む方が、今の私には圧倒的に楽しいと感じます。《自分が気に入った響きや楽想のある一ページを熟読することの方が役に立つ》という鑑さんの主張にも、大いに賛同してしまうのです。

 エピローグ「ふたつのアイデア」のひとつめ「少し音楽に飢えてみること」は、現在、その状態を体感しています。
 3.11の翌日、広島から戻る飛行機で鼓膜を破って以来、アンバランスな状態にたびたび陥るようになり、《絶え間なく音楽が聞こえている状態》は怖くてできなくなりました。
 音楽が無くなってみると、音が聞こえることに対して心から感謝してしまいます。
 もっと真剣に1つひとつの音を聴こうという気持ちが強まり、前以上に大切にするようになりました。階下の住人のかけている音楽に気付いたり、カラスの鳴き声が天気によって変わることに気付いたり、みずからハミングして音を発したくなったりするのも、鼓膜を破ったからこそのおもしろい体験です。
失ってみて初めて気付くことも多いものです。
失ってから気付いても悔いるばかりですが、意図的に飢餓の状態を作ることは今この瞬間からでも可能です。イヤホーンを外して音声を消して、《もともと好きだったものが本来の輝きを取り戻せる》瞬間を体感してみることはひじょうに意味がありそうです。

 鑑さんのライブに行くようになってからは、楽曲が生まれるまでの経緯や意図を鑑さんご本人から直接伺う機会も増えました。でも、それ以前の楽曲について知ることは、新米ファンにはなかなか難しいのが実情です。
 本書のおかげで、楽曲が誕生するまでの物語を垣間見ることができ、《作り手の苦悩と希望、そして費やされた長い長い時間》もイメージできるようになりました。断片的だった出来事の、時間と時間をつなげられるようになりました。

 本書には、音楽に限らず、人生の生き方全般でハッとさせられるメッセージも数多く出てきます。生き方のうえで考えたいことや教えられることも多数出てきて、ひさしぶりに、真っ赤にマーキングされた書籍になりました。

 井上鑑師匠、松岡正剛校長はじめ関係者の皆さま、本当にありがとうございました。

(2011/08/08)